自由に流れるアストラル体と絵を描くこととその過程を振り返る

絵の描けない子どもだった

私は子どもの頃から全く絵が描けない子だった。

だけど、なんだか知らないけど、絵が描ける人になりたいと思っていた。

大学の時に美大の人との共同授業に参加して、一緒に3Dのアニメーションを作るという課題に取り組んだ時、美大の人たちが、イラストをさらさらと描きながらイメージを膨らませていくのがかっこいいと思ってから絵が描けたらなあと強く思った。

次に挑戦したのは、モノクロームの写真の作品を作ることだった。目には見えない何かを写そうとカメラを片手に街を歩き回っていた。

モノクロームのプリント作品

絵を描く研修というのは、場が底上げされていて絵が描きやすい

それから、絵を描くことになったのは、SHASの研修に参加したことがきっかけだ。ヒーリングの先生が、絵を描く人で、研修では絵を見せる機会があったり、実際に絵を描くことがメインの研修があったりした。

絵を描く場を作ってもらったことで、念願の絵を描くことができるようになった。

私の参加した、SHASの絵を描く研修「VISION QUEST THROUGH ART」の様子はこちら

ところが、研修を終えていざ日常に戻ってから絵を描こうと思っても描けなかった!!

今になって振り返るとよくわかるのだが、研修の場では、絵を描くことに対して、色々と底上げされていたから、絵が描けていたのだ。

これは、メディテーションやヘミシンクなどが、ワークショップに参加すると集中しやすく手応えがあるが、いざ家に帰って自分1人で取り組もうと思うとうまくいかない、という現象と同じである。

集まった人たちも同じ目的で集まり、教師もその目的のために安定した場を作り出してくれているから、エネルギーの底上げがあるからやりやすい。

これがワークショップや研修に参加する意味だ。

バリ島の研修で描いた絵

アストラル体が刺激されると絵を描きたくなるらしい

絵を描く研修以外でも、SHASのヒーリング研修などに参加すると、クラスの合間に落書きとかをするようになった。

クラスのノートのらくがき

多分、先生は、私に必要な過程と思って、落書きをする私を見て見ぬふりをしてくれていたと思う。先生ありがとう。

ちなみに、当時の私は、普段はこのような落書きをするタイプでは全くないのだ。こんな落書きが描けるんだ〜と嬉しかった。

アストラルクラスに参加した後に、絵を描く衝動がついにきた!!

なんとか1人で日常生活の中で絵が描けるようにならないものか、と模索していた頃に参加したのが、Dean Ramsden氏のアストラルヒーリングのクラスである。

アストラル体が自由に流れることができる、ということがアストラルヒーリングのテーマだった。

Dean先生のクラスでは、いつも、アストラル体が自由に流れること、それにより他の選択肢を持つことができるようになること、ということを教えてもらっている。

研修から帰宅して、しばらくしてから、ふと、自分が描いた絵を人からどのように見られるか、ということをものすごく意識していて、そのせいで絵をかけないでいる、ということに気づいた。

それなら、誰にも見せない、自分だけのために水彩画を描いてみようと思い立った。

その時の描いた絵

アストラル体の充実は、自由に流れることから始まる

何かにがんじがらめになっていたんだと思う。

アストラル体の流れを取り戻すことを研修で経験してから、自分に対して、アストラル体が流れることを許可したのだ。

この時に描き始めた水彩画シリーズが、最終的にSHASの卒業プロジェクトとなった。

今、セッションルームには、このプロジェクトで描いた絵を飾っている。

自由に流れるアストラル体は、アストラル体を充実させる。

そのことにより、今までやりたかったけれどもできなかったことができるようになるかもしれない。

それは、絵かもしれないし、ダンスかもしれないし、物語を書くことかもしれない。(実は踊ってみたいという密かな願望はある笑・・・)

自分が絵を描くことを通じて体験してきたので、アストラルヒーリングはとてもオススメです。

→アストラル体に流れを取り戻すアストラルヒーリングのセッション

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