飛騨高山での研修の思い出

SHASの研修で、飛騨高山の研修施設に10回は通った。
ここ2、3年の研修には、家庭の事情で参加できなかったけれど、春夏秋冬、ほぼ全ての季節に通った。
だんだん馴染みができてきて、行くというよりは、帰ってきた、という気分になっていた。

研修なので、割とやることはあるし、”濃密接触”な合宿生活なので、楽しい〜!ということばかりではなく、それなりにみんな心理プロセスなどを持ち込むし、距離は近いし、正直キツイ時もある。まあ、”研修”な訳である。

だから、研修中はしょっちゅう、裏の山に登っていた。
朝起きて、午後の休み時間、夜の授業が終わった後。
裏山に通ってなかったら、研修はもっときつかったことだろう。

何かあっても、一人で山に入ると、ざわついていた心は、落ち着きを取り戻した。
湧き水の流れる音に、濡れた葉っぱの見事な色合いに、鳥がさえずる声に、谷を駆け下りる風に、心の中にあった問題は、どこかへ流されてしまう。

ウバユリの葉っぱ

超がつく都会っ子の私は、子供の頃も超高層ビルで遊んでいたくらいだから、自然との付き合い方をほとんど知らなかったけれど、時折一緒に山に入る先輩や友人が、植物の名前を教えてくれたりした。
何よりも、”山の中で一人になって、自然と話をすること”を教えてくれた。
研修の仲間は、山に行っても、一緒に過ごす時もあるが、山の上で別行動もする。

大好きなオオウバユリのことを知ったのも飛騨

自然との過ごし方を何度も裏山に通いながら、教えてくれた先輩と友人たちには、本当に色々なことを教わった。
言葉じゃなくて、その姿から、たくさんのことを教わったんだ。

みんなで山の中で観察したサイケデリックな蛾の羽

回数を重ねるうちに、私はだんだんと、自然に対して、自分をさらけ出せるようになったと思う。
今から振り返ると、それはすごく大事なことだった。
どんな自分であっても、ありのままを受け止めてもらえると思えたこと。
これは、どう考えても、自分にとってはとてもとても重要なことだった。

本当に大切なことを教えてもらったんだ。

桂の大樹の金色に光る根っこ

自然の中には、色々な答えがあった。
疑問を持って、山の中に入ると、答えを教えてくれるような感じだ。

この桂の木の根っこも、何気なくずっと見ていたけど、見ていると自分の中にある力強さを思い出させてくれることに気づいた。
そして、そのことに気づいた時、ああ、この力強さは、自分の中にもあるのだなあと思えた。

誰かが住んでそうなキノコの家

森の中には、耳をすませば、いつも色々なものが見えてきた。
たくさんのことを教えてくれた飛騨の森。
騒ぎが収まったら、また戻りたいと思う。

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