本当に変化を起こす方法②〜自分の中の“放蕩息子”〜

さて、前回の続きです。

本当の変化は、〜integrate〜 統合化だ!

自分と向き合って、自分の本心に気づいた後、それからどうしましょうか?
次は統合を目指しましょう。

統合・・・二つ以上のものをまとめること

自分の一部だったのに、認められていなかったものを、本当の意味で、自分のものにすることです。

例えば、太っている自分を、豊かな自分だと心から思えるようになれたら、いい変化な感じがしませんか?

この統合ということについて、もう少し説明します。

”放蕩息子”を受け入れられるか?

有名な、新約聖書の”放蕩息子のたとえ話”では、
財産を半分受け継いだ弟が、世界中を放浪して遊び尽くして、無一文になって帰ってくるのですが、
父(神)は、全てを受け入れて、最高のもてなしをして迎え入れます。
真面目に生きてきた兄は、不満たらたらになりますが、父は、それを制します。

この話を聞いた時、えーっ、弟ダメじゃん、と思いますが、
この弟が、自分の中の影だと考えられます。
兄は、弟の存在を到底受け入れられませんが、兄が、自分の普段の意識(自我)です。

私たちは、自分の中の放蕩息子を受け入れることができるでしょうか?
息子ならまだしも、放蕩弟は受け入れ難い、ですよね〜。

でも、世界中を遊び尽くした弟は、この一家に、新しい風を運び込むことでしょう。
兄も、不満があって当然ですが、それでもう受け入れることができた時、この一家はもっと繁栄することでしょう。

自分にとっての“放蕩息子”は何か?

”放蕩息子”のたとえ話のように、誰にとっても少し厄介に感じる性質が、自分の中にあります。

そして、“放蕩息子”は、外の誰かに投影されている場合も多いです。

例えば、なんだか無性に気に食わない人、ソリが合わない人、それなのに、放っておけない人などは、
もしかしたら、自分の中の“放蕩息子”が、外的に投影されているのなんていうことはよくあります。

自分の一部なので、なかなか気づきづらく、そして、外のもののように感じられるのです。
それなのに、自分の一部ですから、距離を取ることができないのです。

いろんな視点で自分を見てみる

実は、影と向き合うことができた時、そこからすでに統合への道が始まっています。
影を見ることができている時は、統合されている状態に近いのですが、
日常の状態に戻ると、影を厄介なものと思ってしまいがちです。

父の視点で見ると、放蕩息子を受け入れられるのに、
兄の視点になると、受け入れ難い、という状態になります。

リラックスして、全体的な状態になっている時は、
私たちは、父(=高い自己)の視点を得やすく、自分の中の影を受け入れやすくなり、
兄(=自我)の視点になり、影を疎ましく感じます。

父の視点も自分であり、兄も、弟も自分なのです。
私たちの中にはいろんな立場の、自分がいるのです。

太っている自分というのは、痩せようと体重をコントロールしたいお兄さんからしたら困った存在ですが、
美味しいものをたくさん味わえる大らかな弟なのかも知れません。
そして兄も弟も、かわいいと思えるのが、お父さんです。

色々な目の自分

Follow me!