コロナ禍で起こっている、バウンダリの敷き直し

関係性への取り組みとバウンダリの敷き直し

関係性エネルギー療法を受けると起こることに、バウンダリの敷き直し、というものがある。

特定の誰かとの間に繋がれているコードを流れるエネルギーが、過剰であったり、一方的であったり、あるいは、流れが滞ってたり、など色々あるが、このコードの流れを健全なあるべきようになっていくには、その相手との関係性について振り返ることが欠かせない。

それもできうる限り効率的なのは、心理療法などを通して長期の取り組みと、プラクティショナーという第三者の視点を持ち込んで、関係性に客観性の光を当てることだ。この経験を経て、関係性について意識的に、さらに、よい悪いを超えた全体的な理解がもたらされることが望ましい。

このような(特に母親や父親との)関係性の意識的な取り組みにおいて、起こることが、バウンダリを敷き直す、ということだ。

このことを聞いたのは、DeanRamsden氏の講座を受けた時で、今、その録音を聞き直している。

そして思い至ったのは、このコロナ禍が、バウンダリーを敷き直すのに、効果的なタイミングではないか、ということである。

距離をとることとバウンダリー

実家の家族と会う回数が減った、今まで当たり前に行われていた会社のイベントが開催されなくなった、など、多くの人が、これまであった関係性に基づく会合が行われなくなるか、回数が減っている、という状況にある。

バウンダリを敷き直すとき、その関係性において自分が与えすぎている場合も、相手から押し切られている場合も、自分に適切なバウンダリはどこか、ということを明確にしなければならない。

けれども、自分にとっての適切なバウンダリがどこか、というのは、なかなかわかりづらい。それは、一つに、既にある人間関係の流れにどっぷり浸かってしまっているから、自分でもどれが適切かわからない、ということがある。

もう一つは、NOというのはなかなか難しい、ということがある。今まで年に2回実家に子供を連れて帰っていた人が、一回にしてくれと、いきなり主張すると、周りのみんなからなぜ?というふうな抵抗にあうだろう。そしてそこに悪気はないが、相手は受け入れるつもりもなかったりする。

そして、どちらの場合も、一度離れてみる、というのが最も相応しいやり方である。適切なバウンダリがわからない場合は、一度離れて見ると、どちらが好きか、自分の調子が良くなるか、というのを比べてみることができる。

そして、一度離れてみる、という機会が容赦なく与えられているのが、コロナ禍の一面であると思う。

バウンダリを強めることと内側を豊かにすること

バウンダリを強める方法としては、距離をとるというものの他に、内側を強める、という方法もある。

これまで飲み会や、家族や社会のイベントなどに使っていたエネルギーを、別のものに使えるようになっているはずで、“おうち時間”などと呼ばれているが、一人の時間を充実させる方向へうまく使うことができる。

他者と会うということは、必然的に、相手の影響を受ける、ということだ。実際に会うことが与えることは、実際に影響がとても大きい。

他者と会う回数が減るということは、内側に意識が向きやすい、状況である。

これまでやりたかったけどできなかったことに時間(=エネルギー)が回る可能性を秘めている。

変化はストレスでもあり、成長のタイミングでもある

今は、これまでと違うことが起こっているのは間違いない。

これまでと違う、ということは、動物(人間)にとっては十分にストレスフルなことだ。

今起こっている出来事や悩みは、きっと、今までの自分を振り返り、そして今後の自分に必要なことのために、調整が起こっているのだと捉えることもできる。

今という時代が与えてくれる、外的なショックは、私たちの内面に影響を及ぼしている。

「明恵 夢を生きる」河合隼雄氏は、以下のように書いている。

ある個人の内界における大きい変動が、外界におけるそれと共時的に生起することは、案外によくあることのように思われる。明恵の場合も、それにあてはまっており、承久二年における『夢記』の内容は、明恵の内界の著しい変化を反映している。(承久の乱〜貞永式目が制定された革命的な時代)

『明恵 夢を生きる』河合隼雄著 講談社 p.295

時代の変革期と人の内面の著しい変化は、呼応しあい、影響しあう。

今起こっているソーシャルディスタンスが、バウンダリを敷き直すきっかけとなることは大いにありうる。

変革期だからこそ、自分自身の中心を忘れないでいたい、と強く思う。

Follow me!